2009年9月27日日曜日

住宅

「住宅」という建築物はよく考えてみると簡単なようでとても難しい。
有名な建築家もスタートは住宅でまた最後も住宅で終わると言われている。

『住宅』って一体なんだろう。
当社は古民家再生事業をやっているけれど民家について調べると「民家とは庶民の住まいである」と書いてある。
庶民じゃなくとも人は皆、住むべき家が必要である。
住宅、民家、住まい、家。
呼び方は違うけれどどれも人が暮らす建物である。

これから少しずつこのブロクに住宅についても書いていこう。

2009年4月28日火曜日

見える化について考える

ウッドマイルズフォーラムin美幌」に参加しました
4月18日に美幌で開かれた上記のフォーラムの中のパネルディスカッションにパネラーとして出席して勉強してきました。
基調講演をした箕輪光博氏の「CO2の見える化」の話しは現代的課題としての重要性と同時にまたその見える化の手法に経営的ヒントもありおもしろく聞かせていただきました。













基調講演をする箕輪光博氏。














質疑の中で話された箕輪氏の愛する数式「i二乗=マイナス1」の美しさの説明はとりわけおもしろかった。














私 は(社)全国木材組合連合会常務理事の藤原敬氏、美幌木夢クラブ代表で地元高橋工務店社長の高橋広明氏に続いて「地産地消と北の木の家の家づくりの実践」 という活動報告しました。カラマツ集成材を構造体に使った北の木の家と昨年来取り組んできた200年住宅の事例です。この中で今回完成した「ハビタ200 年住宅モデル」の事例もお話ししました。

住宅を建てるときのCO2、住み続ける中で発生するCO2、そして最終的に解体時に出るCO2、 これらの総体の中でのウッドマイルの考えを整理する必要があると思います。これからの家づくりには大きく「省エネルギー」というキーワードが基本的方向を 指し示すと思っています。
資本主義社会は全ての価値を貨幣(お金)で表しましたがこれからは環境の評価をすべてCO2に置き換えて表現することに なるでしょう。それはそれでわかりやすい指標ですが「見える化」の裏にある「見えないもの」の大切さも忘れないようにしなければならないと考えます。現代 においては我々は全てものを評価したがります。評価して説得しようとします。が、説得イコール納得ではありません。論理的説得では納得できないこともある のです。ふっと心に落ちてくる何かに大切なもの、そんなものがあるのです。住宅についてのそのひとつは、たぶん美しいということだと思います。

2009年3月13日金曜日

「200年住宅」について考える

200年と言われ戸惑ったものです。

福田康夫氏が会長だった自民党の住宅土地調査会の中で出てきたものですがこの中で200年住宅のビジョンという事が語られ象徴的なものとして200という数字が使われています。

さて昨年福田首相が誕生して一気に事が動き始めて様々な事業が矢継ぎ早に打ち出されてきました。その中に国交省が募集した住宅コンペとも言える200年住宅モデル事業もあります。
その時応募しようとした人たちはハタと考えたと思います。200年も持つ住宅なんてあるのだろうか、と。周りを見回し調べてみるとあるのは古民家だったのです。

とりわけ日本の民家は優れています。ですから200年住宅モデル事業の応募内容には古民家の良い所が様々取り入れられています。
太い柱梁、田の字型の単純な間取り、世代を超えて使うことが出来る大きな空間、維持メンテナンスのしやすい現しの構造、修理しやすい木組みのジョイント、そして洗練された美しい姿。

「よいものを作りキチッと修理しながら長く使う」

200年住宅のコンセプトです。日本の家づくりもやっと本来の方向に向かい始めたように感じます。

2009年2月23日月曜日

「型」について考える

「型」について考える

立川談志の弟子の本を最近読んだ。
すっきりした文章でうまくておもしろい。スピード感があり文章が走る。ついつい読み進み一気に読み終えた。が、途中で何度かたちどまり考えさせられた。だいたいが師匠の談志について書かれたところだ。
何と談志は魅力的だ。弟子が談志を好いているのがよくわかる。落語じゃとてもかなわないと思ってる。しかし人間的には何かわからない弱さや揺れやためらいがある。そういえば以前、談志がこんな言葉を言ったのを読んだ事がある。「落語とは人間の業を認める芸術だ」と。

さて型について。
談志が弟子にまずは型を作れと言う。型がなければ型なしだ。型が出来てそれにオリジナリティーがつけば型破りだ、と。
なるほどうまいことを言う、さすが落語家だ。これはいろんな事に言える事だ。特に修行が必要なものには言える。ひとつの事を基本に忠実にひたすら身に付ける。
繰り返し繰り返す中から自然に自分の色合いが出て来る。多少の事では揺らがない型が出来て来る。そしてそれに独自の想像力が加わり芸の域に達するという訳である。大工でも左官でも職人はみんな同じような要素を持っている。
だが普通はなかなかこうはいかない。ひたすらひとつのことを忠実に繰り返す,という事が出来ない。型が出来る前にたいていは緩んでしまう。言ってみれば型くずれだ。
と、そこまで考えそして我が身を省みて忸怩たる思いをするのである。

型なし,型くずれ,型破り。
談志もすでに往年の精彩を欠くと言う。
が、そんな事は関係ない。
一度その生き方を見ておきたいと思うのである。