2009年2月23日月曜日

「型」について考える

「型」について考える

立川談志の弟子の本を最近読んだ。
すっきりした文章でうまくておもしろい。スピード感があり文章が走る。ついつい読み進み一気に読み終えた。が、途中で何度かたちどまり考えさせられた。だいたいが師匠の談志について書かれたところだ。
何と談志は魅力的だ。弟子が談志を好いているのがよくわかる。落語じゃとてもかなわないと思ってる。しかし人間的には何かわからない弱さや揺れやためらいがある。そういえば以前、談志がこんな言葉を言ったのを読んだ事がある。「落語とは人間の業を認める芸術だ」と。

さて型について。
談志が弟子にまずは型を作れと言う。型がなければ型なしだ。型が出来てそれにオリジナリティーがつけば型破りだ、と。
なるほどうまいことを言う、さすが落語家だ。これはいろんな事に言える事だ。特に修行が必要なものには言える。ひとつの事を基本に忠実にひたすら身に付ける。
繰り返し繰り返す中から自然に自分の色合いが出て来る。多少の事では揺らがない型が出来て来る。そしてそれに独自の想像力が加わり芸の域に達するという訳である。大工でも左官でも職人はみんな同じような要素を持っている。
だが普通はなかなかこうはいかない。ひたすらひとつのことを忠実に繰り返す,という事が出来ない。型が出来る前にたいていは緩んでしまう。言ってみれば型くずれだ。
と、そこまで考えそして我が身を省みて忸怩たる思いをするのである。

型なし,型くずれ,型破り。
談志もすでに往年の精彩を欠くと言う。
が、そんな事は関係ない。
一度その生き方を見ておきたいと思うのである。