ホームページのリニューアルを機に久しぶりにブログの更新をと思い、さて何にを書こうかと考えました。
新しい段階に入った長期優良住宅の取り組み、若手大工の日々の仕事状況、初夏に向かって毎日気持ちよく変化していく会社構内のこと、建築と農業の接点を模索して始め3年目になる畑のことなど発信すべきことはいろいろあります。
ま、継続を目指して気張らずにということで再開にあたってこの6月28日に発売される北海道の住宅雑誌「リプラン」のために書いた文章を先に載せようと思います。
これは私たちの家作りの考え方と基本的なところで同じ方向を持つ札幌の設計事務所、(株)フーム空間計画工房代表の宮島豊氏との企画もので「住まい考」宮島豊×武部豊樹という形で掲載されます。
09年から取り組んだ美瑛の森に建築した建物について書いたものです。
(詳しくは当社HPの工事レポートを)
雑誌の方には宮島氏の文章も掲載されますし建物や風景の美しい写真も載りますのでぜひお買い上げの上、見ていただければと思います。
(詳しくは当社HPの工事レポートを)
雑誌の方には宮島氏の文章も掲載されますし建物や風景の美しい写真も載りますのでぜひお買い上げの上、見ていただければと思います。
『美瑛の丘で考えたこと』
今回、美瑛の仕事をいただいたオーナーの方は私と同姓です。東京から北海道に居を構えた訳ですが元々は島根県の出身でお父上は島根にまだ生まれ育った古民家をお持ちとの事。私の祖父は明治の末期に石川県能登半島から北海道に渡り、農業のかたわら冬山造材に従事し戦後、父と共に製材工場を始めました。
現在、当社では北海道開拓期の古民家の再生を手がけていますのでお話をいただいた時には出自を含めたお互いの因縁を感じさせられました。
さて、設計者とオーナーの打ち合せの課程で道産材、手づくり、大工がキーワードとして語られました。
家づくりは料理に似ています。地域で採れた良質な素材(道産材)を使って腕の良い料理人(大工)がそれに合った料理方法(工法)でつくる。全国一律どこで食べても同じ味の食物が大量に作られるファーストフードに対して語られるスローフードの物語。北の大地、北海道の気候風土に生きる人間にはその風土にあった家が必要であるはずです。
現在、私たちは積雪寒冷地の寒さと雪と戦ってきて得た確かな技術的成果を持っています。それは高断熱高気密住宅として実績を積み重ねてきました。これからは「小エネルギー」ではない「省エネルギー」更に「創エネルギー」から「蓄エネルギー」へと進化しようとしています。様々なエネルギーを長期にわたって最適に使かってかつ環境にやさしい家。
しかし、これらの技術的成果を一軒の家づくりの中でどう実現してくかはそこで働く一人ひとりの職人(木造建築であればそれは大工です)の技能の精度と意識の高さにかかってくるのです。
「技術」は開放的あり「技能」はそもそも閉鎖的です。技術は紙で伝える事が出来るが技能は手から手に伝わっていきます。学校教育でうまく大工を育てきれないのはそのせいではないかと思います。当社の大工の持つ名刺には「手の記憶を伝える」と書いてあります。
遥か縄文時代に遡る日本の大工の歴史、連綿と受け継がれながら洗練されてきたその技能とそれが支えた木造建築の技術体系は果たして現在の家づくりに生かされているでしょうか。大工のチカラが発揮できるような家とはどのようなものでしょうか。
伝統的大工技術を習得した大工には高い適応力があります。日本の木造建築が持つフレキシビリティーがそれを支える大工に適応力を求め続けて来たからでしょう。その適応力は現代の家づくりに不可欠のものだと私には思われます。それ故(だからこそ)日本において木造建築は何千年にわたって無駄をそぎ落とし生き続けてきたし、これからも更に古き良きものを残しながら新しくなっていくものと思っています。
時あたかも3月11日に発生した東日本大震災は戦後日本のものづくりのあり方、人々の暮らし方に大きな変革を求めているかに思われます。明治以来、悪戦苦闘しながら進化してきた北海道の家づくりも今また新たなステップへと踏み出す時がきているのではないでしょうか。
美瑛の丘で敷地内のカラマツを伐り倒しその丸太を削り梁や柱を作り、オーナー、設計者、大工が等しく語り合った家づくりの経験が、その小さな一歩になるであろう事を感じています。
戦後間のない頃、私たちの若き父や母が貧しいながらも明るく前を向いて働き始めた姿を思い描きながら、今この国の困難な時代にあっても希望をもって家づくりに励んでいきたいと思っているところです。